透析を受けながら活躍する人々

掲載:2015年 vol.20

嶋崎 秀樹さん
「腎臓移植をすることへの悩みはありませんでした」と話す嶋崎さん。移植後は時間にとらわれることなく仕事に邁進でき、ゴルフなどのスポーツも楽しんでいるそう。

農業の担い手が成長し、活躍すること。
それが私の、今一番の楽しみです。

嶋崎 秀樹さん

有限会社トップリバー 代表取締役社長

1959年、長野県南佐久郡生まれ。大学卒業後、北日本食品工業(現ブルボン)に入社。その後佐久青果出荷組合を経て、2000年に農業生産法人「有限会社トップリバー」を設立。一方、1997年に血液透析を導入。2014年には献腎移植を受ける。現在は産業として利益が出る「儲かる農業」の仕組みを作り、自身もこれを実証しながら、後進を育成し全国に送り出している。2009年にはテレビ番組「カンブリア宮殿」にも出演し、注目を集めた。

移植希望登録を、多くの人にすすめたい。
人生をもっと良くするために。

社員全員で記念撮影

この日はレタスの初収穫。トップリバーの畑で、社員全員で記念撮影。収穫の喜びに満ちた表情がまぶしい。〈嶋崎さんは最前列右端〉

 私は今、長野県に本拠を置く農業生産法人「トップリバー」を経営しています。大学を卒業してすぐの頃は、食品会社で営業として勤めていました。しかし、新潟や名古屋などへ転勤を重ねる中で自分の将来について考えるようになり退職。妻の実家で青果卸売業を手伝うようになりました。
 みなさん、農業というと重労働で体や服は汚れ、何より儲からない仕事だと思われているでしょう。実際、利益に結び付きにくい状況は今も残っています。私が農業の仕事に携わるようになった時は、特にその傾向が顕著でした。原因は、農家が長年思い込んできた「出荷量は天候次第」という固定概念や、日本特有の流通経路などです。私はすぐに、このままでは日本の農業は産業として成り立たなくなると感じました。農家も経営について考え、利益に対して真剣に検討しなければ、後継者も減り、衰退していってしまう。他業種で営業マンをしていた私の目には、それほど当時の農業をとりまく状況は厳しいものだったのです。
トップリバーで働く社員のみなさん

トップリバーで働く社員のみなさん。「私が取り組んできたことを、若い人にすべて伝えたい。いつか独立して振り返った時に、役立ててくれたらうれしいです」と嶋崎さん。

 そんな時、私は38歳で透析を導入することになりました。しかし、やりたい仕事があって、大切な家族のために働くのだという前向きな気持ちが強かったからでしょう、透析のことで落ち込むことはほとんどなく、日々の仕事に没頭しました。今思うと、熱中できることがあったのが救いだったのですね。透析導入から3年後、義父の会社を買い取り、経営することにしました。ここから「手間と時間をかけ、がんばった分だけきちんと儲かる農業」を目指し始めたのです。
 慢性腎不全になった理由は、正直なところわかりません。大学4年生の時に尿たんぱくが出て、医師から「7〜8年後には透析をすることになる」と告げられました。その時のシーンだけは、妙にはっきりと覚えています。塩分やコレステロールの少ない食事を心がけましたね。しかし、少し歩くと気分が悪くなることが続いて、ある時透析の緊急手術をしました。通常はシャント手術の後、しばらくしてから透析を始めますが、私は抜糸の前から透析をしました。それほど予断を許さない状況だったのです。
『儲かる農業 「ど素人集団」の農業革命』

『儲かる農業 「ど素人集団」の農業革命』 (竹書房)
儲からないと言われてきた農業界で、独自の仕組みを創造し、年々その売上を伸ばしてきた嶋崎さんのアイデアと情熱が凝縮された一冊。

 透析導入後は、すぐに腎臓移植希望の登録をしました。そして昨年の10月、ついに連絡があり移植手術をしました。不安は少しありましたが、期待の方がはるかに大きかったですね。術後、初めて尿が出た時は本当に安心しました。移植希望登録は、ぜひ多くの方におすすめしたいです。人生をもっと良くするチャンスですから。
 私は、いつも「自分はとても幸せだ」と思い、家族や会社のスタッフをはじめ、日々多くの人に感謝しています。特に透析をしていた頃は、「国や国民のみなさんからのサポートを受け、生かされているのだ」と思っていました。支援を受けるのは、当たり前の権利ではないのです。だからこそ、私もこれまでの感謝を込めてしっかり働き、税金を納めることで誰かの役に立っていけたらうれしい。
 私は今、会社の経営とともに、将来の農業経営者を育てることにも力を入れています。若い人たちが成長して、どんどん活躍する様子を見たい。それが一番の楽しみです。

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