透析を受けながら活躍する人々

掲載:2015年 vol.21

西村 良太さん
西村さんのデスクの前で。
「人間とのスムーズなコミュニケーション」についての研究で使用している人型ロボットNAO(ナオ)と一緒に。

体がつらかった大学時代。
学び続け乗り越えたからこそ、
今があると思います。

西村 良太さん

慶應義塾大学大学院 理工学研究科
開放環境科学専攻 特任助教

西村 良太さん
1982年、三重県生まれ。大学院で博士号を取得後、豊橋技術科学大学の研究員、名古屋大学大学院・名古屋工業大学の教員を歴任。今年の春から、慶応義塾大学の特任助教に就任。音声対話システムについての研究を行う。2010年に腹膜透析を導入、翌年に血液透析へ移行。これまでに海外出張などで20回ほど旅行透析を行っている。車の運転が好きで、休日には静岡まで遠出することも。

腹膜透析から血液透析へ。
今は仕事に趣味に充実した日々。

NAO・双腕ロボット

研究室にはNAOの他にも、パーソナルロボットPepper(ペッパー)や双腕ロボットなども。未来の生活を向上させるヒントがこの場所から生まれている。

 私は今、慶應義塾大学大学院で理工学研究科の特任助教として勤めています。専門は「音声対話システム」。コンピュータと人間が、テンポよくスムーズに会話ができるようなシステムづくりを研究しています。今の研究室には少し前に引っ越してきたばかりですが、最新のロボットなども揃っています。素晴らしい環境で仕事に取り組めていて、今後もますます励みたいと思っています。
 今はこうして教員になっていますが、学生時代には両親に「大学を辞めた方が良いのでは」と言われるほど体がつらかったこともあります。私はもともと腎臓が弱く、中学3年生の時の検査で尿たんぱくが出ているのがわかりました。特別に栄養管理などは行っていませんでしたが、大学生になると体調が悪いと自覚することが多くなりました。食事が進まず、高校時代には90 あった体重も60 まで減り、階段をのぼることもできなくなったほどです。両親はとても心配してくれましたが、私は退学せず学び続けました。ある時、体がひどくしびれ、後輩が急いで病院へ連れて行ってくれました。その時は残念ながら夜間で専門医がおらず正しい診断が得られないまま自宅に戻りましたが、後日改めて診てもらうと腎臓はかなり弱っていました。そこで、透析を導入することになったのです。
 当時、私は年齢的にも28歳と若く、将来の仕事も見据えていたので、腹膜透析を選びました。しかし導入後、1年経った頃に腹膜炎になり、これをきっかけに血液透析に移行しました。血液透析を始めてからは、今までのつらさが嘘のように体調が良くなり、食欲も戻りました。週3日の通院で時間が自由になりにくいことや、海外出張など遠出をする際は出先での透析を手配する必要があるなど、不便を感じることもありますが、前向きに考えて自分で工夫しています。
西村 良太さん

研究室に所属している学生とも、年齢の近さからかとても親しみやすく会話する姿が印象的。

 ところで、私は最初お世話になっていた病院でオンライン透析をしていて、透析時間が少し長かったこともあり、食事制限をほとんどしなくても問題ありませんでした。おいしいものが大好きなので、個人的にこれはとてもうれしかったです。今は仕事の関係で病院を移り、血液透析をしています。次の透析まで中2日ある時は、少しだけ食事を調整する必要がありますが、職場にも近いクリニックで医師やスタッフの方がいろんな相談にのってくださるおかげでとても心強いです。
 食事についてもう一つ考えることは、私たちは日々栄養成分に気を付けていて、そのための制限食のレシピもあります。また塩分をはじめリンやカリウムの少ない機能性食品も販売されています。しかし、これらはおいしさの面で続けにくいものも多い気がします。食事は毎日のものだからこそ、おいしいと感じることが大切。私たち自身も工夫することが大切ですが、今後こうした悩みが少しずつでも解消されると良いなと思っています。

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