透析を受けながら活躍する人々

掲載:2015年 vol.22

髙橋 直義さん
現在は会社に勤務する一方で、ゲストスピーカーとして大学で講義も行っている。「透析や透析施設の現状について、もっと知ってほしいのです」。

「不便」と「不幸」は同じではない。
あきらめず、心が動くものに挑戦し続けたい。

髙橋 直義さん

会社員

髙橋 直義さん
1958年、兵庫県神戸市生まれ。20代の前半に急性腎炎と診断され、その後塩分やたんぱく質など保存期の食事制限を行う。45歳の時に腹膜透析を導入。現在は血液透析との併用療法を行っている。神戸に本社を置く企業に勤める一方で、地元を拠点にした列車の旅を楽しみ、その時の風景や心に浮かんだ思いを本に綴る。また透析導入後に大学院で学んだことをきっかけに、透析や透析施設の現状認知を広める講演を行うなど精力的に活動されている。

50歳を超えてさらに強く思う、
「やらずに後悔するより、まず実行」。

髙橋 直義さん

在宅血液透析の訓練は、自分で自分の腕に針を打たなければならないのが怖くて、最初はためらったとか。「今はずいぶん慣れました。できなかったことができるようになると、自信になりますね」。

「線路のある風景」

髙橋さんの著書である「線路のある風景」(Kindle版)。シリーズは3冊を数える。現在は西日本が中心だが、「今後は関東や東北、北海道でも列車の旅をしたい」と髙橋さん。

「透析患者の日本一周鉄道の旅 西日本編」

「透析患者の日本一周鉄道の旅 西日本編」(Kindle版)
髙橋直(髙橋さんのペンネーム)髙橋さんが地元神戸を拠点に、西日本を中心に旅をした記録と記憶。透析に関する思いや、日々の心の変化も綴られている。

 生まれつき腎臓が弱いという感覚は、自分ではなかったと思います。20代前半の頃に血尿が出て急性腎炎と診断された時は驚きましたが、その後も特別生活を変えることはありませんでした。ただ40歳を過ぎた頃に会社の健康診断で腎機能の異常を指摘されてからは、食事の中でも塩分とたんぱく質を少し減らすようにしました。ごはんも低たんぱく米を取り入れたりして、いろいろと工夫していましたね。
 透析を導入したのは45歳の時です。同時に移植希望登録をしました。仕事のこともあったので腹膜透析を選びましたが、7年ほど経ってからは血液透析との併用となり、現在に至っています。今秋からは在宅血液透析をしたいと考えているので、そのための訓練もしています。最初は針を見るのも怖かったのですが、あきらめずに挑戦しているうちに少しずつできるようになってきました。よく言われることですが、やはり「やればできる」のですね。
 私は20代後半からいわゆる保存期があり、心のどこかで透析について考えていたとはいえ、腹膜透析のための手術を行い、その後の生活が変化すると想像以上につらい気持ちになりました。特に非正規雇用となって仕事のスタイルがこれまでと大きく変わってしまったことはショックで、社会の制度や仕組みに怒りを覚えたこともあります。でも、怒りは次第に「なぜこのような世の中なのだろう?」という疑問に変わり、福祉について学びたいと思うようになりました。そこで、仕事を続けながら大学院へ入学。社会福祉学を学びました。その後、大学院時代の知人のすすめで、兵庫県臓器移植推進協議会の活動を開始し、現在ではゲストスピーカーとして大学生に「患者の視点からみた施設透析の現状」を伝えています。もし透析を経験することがなければ、生活に不満を持つこともなく、こうした活動も行っていなかったでしょう。そういう意味では、私の今の状況も何か意義があるのかもしれません。
 ところで私は、子どもの頃から鉄道が好きで、時間を見つけては列車の旅をしています。これまでも鉄道で日本全国を巡る旅をしてきました。透析を始めてからは「もう旅は難しいかな」とあきらめていたこともありますが、やはりチャレンジすることにしました。すると一か所また一か所と、訪れた場所が増えていき、旅先で心に浮かんだことを綴った本を4冊発行するまでになりました。
 確かに、日々大変なことはあります。透析のために、躊躇したり、「できない」と思うこともあります。でも「やらずに後悔するより、まずは実行」と50歳を超えてからは特に強く思うようになりました。それに、「不便」と「不幸」は同じではないはずです。これからも、心が動くものに挑戦して、人生を楽しみたいと思います。

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