透析を受けながら活躍する人々

掲載:2015年 vol.22

大塚 治道さん
トレーニング用のユニフォームはすべて赤色。「60歳の還暦を期に、全部赤色で揃えました」と大塚さん。

透析導入後に始めたマラソン。
完走や良いタイムが、次のやりがいにつながる。

大塚 治道さん

マラソンランナー

大塚 治道さん
1951年、兵庫県神戸市生まれ。海運企業に就職し、クウェートやイラク(バスラ)にも赴任。貿易の輸出入に関する手続きや折衝を行う。若い頃から尿酸値が高く、1997年頃に知人の医師から透析導入の可能性があると告げられる。2001年に血液透析を導入。現在は、兵庫県腎友会で経理を担当。また2008年から始めたマラソンは、関西を中心にさまざまな大会に参加し、ハーフマラソンはもちろんフルマラソンも完走。毎日のトレーニングを欠かさず、ランニング以外にエアロビクスや腹筋運動、アームカール、レッグプレスなども行っている。早く走るために上半身が重くならないよう、工夫しながら鍛えているそう。

トレーニングは、私にとっての日課。
楽しみながら、もっと良い結果を出したい。

大塚 治道さん

「透析をしていない人の何倍も元気だって、周りの人に言われるんですよ」とユーモアたっぷり。溌剌とした笑顔が印象的。

 思い返せば、私は生まれてからずっと神戸で暮らしています。大学で船舶や海事に関する分野を専攻していたこともあり、地元の海運企業で働いていました。クウェートやイラクのバスラにもそれぞれ1年ずつ赴任して、貿易の輸出入に関する手続きや折衝を行っていましたが、それ以外は神戸が「わが街」。とても住みやすい街で、愛着がありますね。
 私が透析を導入したのは、50歳の時でした。腎臓が弱くなった原因は、実は今でもわからないのです。ただ若い頃から尿酸値が高く、痛風の症状が腎臓に影響して痛風腎になりました。1997年頃、当時通っていたスポーツジムで知り合ったドクターに、健康診断の数値を見てもらったところ、「腎臓がかなり弱っていて、近い将来透析を導入することになるかもしれない」と告げられました。驚きはありましたが、その後も食事制限などは一切しませんでした。なぜか「少しでも透析を遅らせよう」と思わなかったんですね。移植希望登録もしませんでした。
 でも、これは悲観やあきらめからではなかったんですよ。今までと同じ快適な生活をできるだけ長く送りたい、その後で透析生活に入りたいという気持ちが強かったのです。そして2001年に透析を導入。血液透析を選びました。
マラソン大会の完走を証明する「完走証」

軽やかな足取りでランニングをする大塚さん。マラソン大会の完走を証明する「完走証」も、今では1冊のファイルいっぱいに。

 体調や気分がすぐれない時もありましたが、支えになってくれたのはマラソンかもしれません。私はもともとスポーツが好きで、高校時代はサッカーをしていました。透析を始めてからも、スポーツジムでエアロビクスや筋肉トレーニングをしていたのですが、ある時知り合いから「一緒に走ろう」と誘われて、初めてマラソン大会に参加してみることにしたのです。2008年頃だったと思います。これをきっかけに、本格的なランニングを始めました。
 マラソン大会は多可郡や三木市、朝来市、芦屋市が主催するものをはじめ、大きなものでは「神戸マラソン」や「奈良マラソン」などにも参加してきました。ハーフマラソンだけでなく、フルマラソンも走りますよ。タイムが縮んだ時は、とてもうれしいですね。それに、幅広い年齢層の人が参加するので、若い人に元気をもらえるのもマラソン大会の魅力だと感じています。
 現在は腎友会で経理の仕事をする一方で、透析のない日は10キロメートル、透析日は5キロメートルほど走ります。もちろんエアロビクスや、レッグプレスなどの筋肉トレーニングも続けています。ジムに朝夕の2回通う日もあります。ドクターをはじめ周りの人からは「大塚さんが一番元気」「元気すぎて心配」と冗談のように言われますが、こうして体を動かせることは本当に幸せなこと。ますます心配をかけるかもしれませんが、これからももっと走りたいし、さらにタイムを縮めたいと思っています。

ページトップへ