透析を受けながら活躍する人々

掲載:2016年 vol.23

錦山亭 金太夫さん
作品を手に微笑む金太夫さん。博多祇園山笠をモチーフにした味わいのある絵に、あたたかいメッセージが光る。

ずっと健康だったら、
絵を描いていなかった。
これからも、支えてくれる家族や
大好きな仕事を大切に。

錦山亭 金太夫さん

筆師

錦山亭 金太夫さん
1959年、福岡県福岡市生まれ。高校卒業後、独学で筆文字を中心にしたグラフィックデザインを始める。現在まで、ポスター・看板・CM・商品パッケージなど広告分野で幅広く制作を行い、テレビにも出演。日本経済新聞の連載は、1990年から25年続いている。一方で、生まれつき腎臓が弱く、1987年に血液透析を導入。2004年に腎臓移植を受ける。現在は、博多のアトリエに毎日愛犬と出かけ、作品づくりに没頭する日々。定期的に個展を開くなど、精力的に活動している。

17年の血液透析を経て、腎臓を移植。
落ち着くまでに8年かかりました。

錦山亭 金太夫さん

個展にも並んだという作品の数々。力士や噺家の知り合いも多く、相撲や寄席で用いられる江戸文字も好んで取り入れる。

 私は博多を拠点に、筆師として活動しています。“筆師”というと、毛筆用や化粧用の筆を作る人も指しますが、私の場合は、筆で描いた絵画に筆文字でひと言思いを添える書画を創っています。この道に進んだきっかけは、小学6年生の時に美術の教科書で見た棟方志功の作品です。それまで、絵や書にはほとんど興味がなかったんですよ。でも、棟方志功の絵を見た瞬間、「こんな絵を描きたい!」と強く思って。私にとって、とても衝撃的な出合いでした。それから独学でコツコツ描き続けて、いつの間にか今の仕事に結びついた感じです。
 現在の仕事は、商業デザインが中心です。ポスターや看板、CM、商品パッケージ、カレンダーなども手がけていて、新聞の連載など25年ほど続けている仕事もあります。博多なので、山笠(博多祇園山笠:毎年博多区で開催される伝統的な祭)に関する書画の依頼も多いですよ。
 定期的に個展も開きます。額にもこだわって、いろんなサイズのものを作るのですが、そういえば2005年の個展の時は最終日に大きな地震があって大変だったことを今も思い出します。当時は、1年前に腎臓移植をした後で拒絶反応があったりして、特に体がしんどい時期でした。そんなこともあって、よく覚えているのでしょう。
 私は、生まれてすぐにネフローゼ症候群と診断されていました。ネフローゼ症候群とは、尿中に大量のたんぱく質が出ることで、血中のたんぱく質が減り、むくみが起こる病気です。その後、中学時代にも尿たんぱくを指摘されて、大事をとって部活(剣道部)を辞めました。一方で、食事などは特に制限することはありませんでした。塩分を少し気にする程度だったでしょうか。でも、当時は育ち盛りでしたから、たくさん食べていましたね。
腎臓移植の後、心身ともにつらかった時に出合った権太郎と一緒に。今では大きな心の支え。

腎臓移植の後、心身ともにつらかった時に出合った権太郎と一緒に。今では大きな心の支え。

 ところが27歳のある時、急に気分が悪くなって、足元がふらつくようになったのです。驚いて病院に行ったら、医師から「透析をしましょう」と告げられました。1ヶ月ほど腹膜透析をしてその後シャント手術をし、血液透析に移行しました。週3回、4時間の透析が始まってからは、気が重い毎日でした。何より時間的に拘束されるし、体調が良くないと感じることも多かったです。以前は山笠の寄りなども積極的に行っていたのですが、それも難しくなってしまい、ずいぶん落ち込みました。
 私は透析導入後、移植希望の申請をしていました。2004年、急にかかりつけの病院から連絡があって、献腎移植を受けることになりました。手術後は随分楽になると思っていたのですが、1年間はそれまでで最も体がつらかったです。10ヶ月目に拒絶反応が出て入院。その後も何度か入退院をくり返し、落ち着くまでに8年ほどかかったと思います。
 でも、その間も書画はずっと続けていました。「もし私が健康だったら、描いていない」。今ではそう思います。一つひとつの仕事を大切に、心を込めてきました。妻をはじめ、今や家族の一員である犬の権太郎、たくさんの人に支えられたからこそ、現在の私がいるのです。これからも、大事な人たちとつながりながら、好きな仕事をコツコツと続けていけたら幸せです。

著書のご紹介

『まずは笑顔から 〜錦山亭金太夫の博多有情〜』

『まずは笑顔から 〜錦山亭金太夫の博多有情〜』
日本経済新聞出版社/¥1,620
博多どんたく、祇園山笠、屋台…。四季折々の博多の風物を情緒豊かに描く、日本経済新聞西部版夕刊の連載を単行本化した一冊です。

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