透析を受けながら活躍する人々

掲載:2016年 vol.24

楠 和廣さん
長年たずさわってきた淡路瓦で屋根を葺いた自宅の前で。庭には瓦職人の手による素晴らしい置物も。

いい理解者に恵まれて、今の私がある。
体力の続く限り、精いっぱい地域に恩返しをしていきたい。

楠 和廣さん

元南あわじ市議会議員

楠 和廣さん
1941年、兵庫県南あわじ市生まれ。地元特産の淡路瓦を製造する瓦職人の3代目として、技術を受け継ぐ。1988年頃から体の不調を感じ始め、慢性腎不全で1992年に血液透析を導入。その後も世の中に貢献したいという思いから、西淡町議会議員、南あわじ市市会議員として活躍。一方で、淡路瓦の文化を伝え普及させたいと、瓦業者組合の理事長や商工会副会長も歴任。2015年には旭日双光章を受章するなど、さまざまな社会貢献をたたえる多くの賞に輝いている。

透析を始めて、たくさんの人に
支援してもらっていると気付きました。

楠 和廣さん

毎日気を付けていても、カリウムが高くなりがちだという楠さん。「関節が弱くなって最近は膝が痛いですが、体力を付けるためにできるだけ散歩などで歩くようにしています」。

 私が体の不調を感じ始めたのは、1988(昭和63)年頃でした。それまでになかった足のむくみに気付いて病院に行ったところ、腎臓が悪くなっていてネフローゼ症候群と診断されました。他に体のだるさや痛みなどの症状はなかったので、その後は外来診察で点滴を受け、特に食事制限などもしていなかったですね。医師に「将来的には透析を」と言われていたのがいつも頭のどこかにありました。でも、当時すでに祖父の代からの瓦製造の仕事を引き継いでいた私は、兄弟の「透析を始めたら、体力を使う今の仕事はできない」という声に怖気づいてしまって。ギリギリまで導入を決意することはできませんでした。5年間外来でがんばりましたが、少しずつ体調が悪くなり、1991(平成3)年にシャント手術をして、翌年に血液透析を導入しました。瓦の仕事は、その後も妻が随分長い間助けてくれました。本当に感謝しています。
 透析を始めて気が付いたことは、私たち患者が国や団体から多くのサポートを受けているということでした。医療費は、一人あたり年間数百万円にものぼり、本来であれば個人に大きな負担がかかるはずです。でも、支援のおかげで経済的な負荷も少なく、こうして暮らしていけるのだから、感謝しなくてはと思いました。そして、自分も何か社会へ恩返しができないかと考え、地元西淡町の議会議員に立候補することにしたのです。出馬を決めるまでは、迷いもありました。なにしろ週に3回透析に通っているので、選挙そのものや当選できたならその後の議員活動で、時間的・体力的にしっかり職務が果たせるか不安でした。でも、当時お世話になっていたクリニックの院長に相談すると、「とても良いことだから、やった方が良いよ」と背中を押してもらったんです。院長ご自身も透析をなさっていた方で、私の思いに共感してくださったのだと思います。
楠 和廣さん

地元で行った旭日双光章の記念祝賀会で、スピーチをする楠さん。社会貢献により、他にも多くの賞や感謝状を受けている。

 選挙活動が始まると、院長は時間外の透析も受け付けてくださいました。また家族や周りの方の協力もあり、1997(平成9)年、西淡町議会議員選挙で当選。5年後に議長を務め、さらに2005(平成17)年からは南あわじ市議会議員として活動しました。また、2011(平成23)年には南あわじ市議会議長を務めました。議会では、昔から度重なる低地対策について何度も取り上げ、排水機場の新設や河川の整備計画など減災事業を前進できたと思います。それから、私はもともと瓦を製造していたので、西淡町松帆瓦組合の理事長も務めました。商工会の副会長を務めたこともあります。その都度、取り組む問題がある一方で、自分の体がつらい日もありましたが、今まで何とか続けることができました。そして、おかげさまで2015(平成27)年には旭日双光章をいただき、感謝しています。これまでの活動を認めていただけたという気持ちでいっぱいです。
 仕事を退いた現在は、通学路の交通当番をしています。いい理解者に恵まれて、今の私があるのです。体力の続く限り、自分にできることで精いっぱい地域に恩返しをしていきたいですね。

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