透析を受けながら活躍する人々

掲載:2016年 vol.25

北原 優さん
愛車のハーレーダビッドソンにまたがって。取材当日おじゃました新宿のお店はお気に入りの場所で、オーナーとも長年交流がある。
ブログのご紹介 ヤジ北珍道中日記

http://blogs.yahoo.co.jp/wildboyz1966

透析や趣味のことなど、日々の出来事や思いを綴ったブログ。

友人や担当医師の言葉に、
心が救われた。
透析は今後も続いていくから、
前向きに考えることが大切。

北原 優(まさる)さん

自由業

北原 優さん
1966年、東京都生まれ。不動産の仕事に携わり、その後海外で輸入雑貨の買い付けを行う他、航空会社・撮影スタジオで勤務。30代半ばから十二指腸潰瘍、腸閉そくを患い、2007年に慢性腎不全により血液透析を導入。2013年には心筋梗塞で入院。登山や釣り、バイク、サーフィンなど趣味が多彩で、最近は美術館や博物館めぐり、レザークラフトも楽しんでいる。一方で、東京の腎友会に参加。「透析患者にとって、コミュニティは必要なもの。情報の共有や心の支え合いの大切さを実感しています」。

情報や悩みを共有するコミュニティに
参加することがおすすめです。

北原 優さん

将来的には移植を考えているという北原さん。「移植をすれば終わりではなく、その後の問題などもありますが、価値はあると思うんです」。

 私が透析を導入したのは2007年。41歳の時でした。もともと腎臓の調子が悪いと自覚するようなことはありませんでした。ただ、高校時代に若年性高血圧と診断されていたことがあり、腎臓の機能が弱くなる遠い要因になっていたかもしれません。
 当時は仕事で撮影スタジオの管理をしていたこともあり、とても不規則な生活を送っていました。早朝から翌日の明け方に撮影をすることも多く、その前後にはもちろん準備や片付けを行います。睡眠時間が少なく、緊張感のある現場でストレスもあったと思います。また、私はお酒を飲んだりおいしいものを食べることが好きで、今思うと暴飲暴食をしていました。幸いと言うべきか肝臓は丈夫だったのですが、血圧が高い時には180を超え、少し食事とお酒の量を控えなければいけないな、と思っていたのです。30代半ば頃にひどい貧血を起こし、十二指腸潰瘍で入院することになりました。その後、退院しましたが同じ病で再度入院。さらに30代後半で腸閉そくになり、その時に医師から「将来的に透析を導入することになる」と告げられました。透析について当時はほとんど知識がなく、「年配の人が、加齢とともに腎機能が衰えて導入するもの」だと思っていたので、ショックでしばらく受け入れられず考えないようにしていました。逃げていたんですね。一方で食事について指導を受け、食べる量や塩分にも気を付けるようになりました。いわゆる保存期ですが、1年半ほど続き、当初85kgあった体重は63kgまで減りました。
 2006年の12月、急に高熱が出て寝込んでしまいました。でも、年末になって体調が戻ったので、たいしたことはないと思って熱海に旅行に出かけ、何事もなくお正月を迎えました。しかし、また高熱が出て動けなくなり、救急車で搬送された病院で慢性腎不全と診断されました。おそらく前年末の発熱は、尿毒症が原因だったのでしょう。緊急性が高かったので、私はそのまま入院し、首からカテーテルを入れて1週間治療を受けました。そして、その後シャント手術を行ったのです。最初は腹膜透析も考えましたが、私はサーフィンもしていたので、腹圧がかかることを考えて血液透析を選びました。
 考えることを避けてきた透析が始まり、ずいぶん気持ちが落ち込みました。絶望感があり整理がつかない状態でしたが、そんな時に、自身のお父さんも透析をしていたという友人が訪ねてくれ、シャント手術をした私の腕を見て「すごいな北さん。人体改造みたいだね」と言ったのです。私は「そんな考え方があるのか!」と、どこか気持ちが吹っ切れて(笑)。後で担当医師も「新しい命が入りましたね。第2の人生の始まりです」「あなたは生きる気(気力)が強かったんですよ」と言ってくださいました。みなさんの言葉に救われたと思います。
 透析はこれからも続いていくものだから、少しでも前向きに考えないとつらい。例えば食事なら、まず「制限」と考えずに「この食材や分量なら食べられる」と考えることで、ずいぶん気持ちが楽になります。そして、人とつながって声をかけ合うことも本当に大事。私は腎友会などのコミュニティに積極的に参加しています。役に立つ情報が自然と入ってくるし、何より透析の悩みについて話せたり共有できるのが心強いです。自分自身の心身の健康のためにも、多くの透析患者さんに参加をおすすめしたいと思います。家族の方も一緒だと、さらに良いですね。

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