透析を受けながら活躍する人々

掲載:2016年 vol.26

小野 孝俊さん
現在はオンラインHDFを毎回6時間行っているという小野さん。東日本大震災後、透析時間が長いことがストレス(恐怖)となり、一時パニック障害になるが、心理カウンセラーのアドバイスで少しずつ従来のペースを取り戻した。「今は、やってくるものを受け入れようという気持ちを大切にしています」と小野さん。

「私は生かされている。世の中に何かお返しを」
そんな気持ちで、腎友会の仕事を続けています。

小野 孝俊さん

横浜市腎友会 事務局長

小野 孝俊さん
1961年、東京都中野区生まれ。大学卒業後、家業の古物商に携わる。24歳の時に、慢性腎不全により血液透析を導入。2年後にお母様からの生体腎移植を受けるが、その後拒絶反応により3度手術を行う。40歳の時に透析を再導入。同時に2度目の移植申請も行う。この頃、夢でもあった楽器の販売をインターネットで始める。現在は、横浜市腎友会の事務局長として活躍。医療施設の登録数を増やす取り組みなど、患者さんのより良い透析や環境づくりのために奔走している。

透析導入から腎移植、拒絶反応、そして再導入。
つらい日々もみんなに支えられたから今がある。

 生まれつき腎臓が弱かったとか、腎臓に負担をかけるような原因があったとか、そういうことは今でも思い当たらないんです。ただ大学生の時に健康診断で高血圧を指摘されて、それから急に体調が悪くなっていきました。手足が象のようにむくんだり、吐き気もひどくなっていきましたね。24歳の時に血液透析を導入したのですが、それまでの1年間は心身ともにとてもつらい時期でした。保存期が短かったので、透析について知らないことが多いまま導入することにも、大きな不安を感じていました。
 でも、入院した病院の医師や同室の方にいろいろとお話を聞いて、少しずつ知識を増やしていきました。また偶然、同室には移植をされる方が多かったこともあり、私は早い段階で自身も腎臓移植をすることを決めて申請しました。その後、ありがたいことに母が申し出てくれ、26歳の時に生体腎移植を受けることができたのです。
 仕事はというと、大学卒業後から、実家の古物商を手伝っていました。家業を継ぐことはずっと前から決めていたつもりだったのですが、一方で学生時代から音楽も好きだったので、「いつか自分でギターなどの楽器のお店を始めたいな」とも思っていました。でも、移植後に拒絶反応があらわれて体の具合が思わしくなく、手術を3度も受ける中で仕事のことを考える余裕はなくなってしまいました。
小野 孝俊さん

中学時代、剣道に取り組んでいた頃の「黙想」を今も時々行っている。他にロングブレスなど、手軽にできる健康管理法・リフレッシュ法を日常に取り入れている。

ブログのご紹介

「たつろーのオンライン日記」
http://ameblo.jp/izumiyukari-iianbai/

透析や腎移植、患者会(腎友会)のほか、日々の生活やご趣味のことなど、豊富な話題が魅力のブログ。

 40歳の時、私は透析を再導入することになりました。そしてこの年、念願の楽器の販売をインターネットで始めたのです。海が見渡せる神奈川県の三浦市に母と一緒に暮らす新居を購入し、新しい生活がスタートするはずでした。なんと新居に移ってすぐに東日本大震災が起こり、その直後に、実は地盤が良くなかったことが判明しました。母の年齢を考えて決めた快適な家で、海の目の前という景色の素晴らしい場所でもあったので、大変ショックでした。でも安全が第一ですから、引越しを急ぎました。幸い仕事はインターネットで行っていたのでそのまま50歳ぐらいまで約10年続けることができました。また三浦の家を購入する際に知り合った不動産会社の人との縁で、不動産の勉強もできました。
 大変なことや、ありがたいな、うれしいなと思うことが次々にやってきて波乱万丈な半生のようですが、基本的に私はポジティブなのかもしれません。家族をはじめ、いつも私を支えてくれる友人、医師、職場のみなさんに心から感謝しています。
 今は、横浜市腎友会の事務局長をしています。理事として5年、事務局では2年ほどですね。私は8年前に、希望した6時間HDFを導入し、貧血治療も積極的に行っている病院の院長と知り合い、転院しました。そのご縁で始まった仕事です。「私は生かされている。世の中に何かお返しをしたい」という気持ちで日々がんばっています。目下の目標は、横浜腎友会に登録してくださる医療施設を増やすこと。横浜市は大きい都市ですが、意外と登録所数が少ないんですよ。患者さんの役に立つ最新情報をお伝えしたり、コミュニティの充実なども図っているので、ぜひ参加してほしいですね。また個人の方にも、興味を持っていただけたら本当にうれしいです。

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