透析を受けながら活躍する人々

掲載:2017年 vol.27

宮崎 衛さん
若い時から、つらい病状が続いている時でも「なんとかなる。なんとか生きているんだから」と前向きだったそう。
今は仕事のかたわら、地元の演劇関係者やクリエイターも集う脚本作りの会「作り話の会」に楽しみながら参加している。
「普段使うのは、どうしても左脳が多いでしょう。右脳も使って活性化させないとね」とチャーミングにほほえむ。

一回の透析で、世界が変わったように感じて、
「ありがたいな」と思いました。

宮崎 衛さん

旅行会社スタッフ

宮崎 衛さん
1963年、兵庫県神戸市生まれ。15歳の時に一型糖尿病を発症。合併症による眼底出血で、レーザー手術を行う。32歳の時に腹膜透析を導入したが、翌年に腹膜炎により血液透析に移行。その後、兵庫県腎友会西播ブロックに16年間勤務。現在は透析患者さんの旅行をサポートする株式会社旅行透析に所属。主に、旅や出張先での透析施設の手配などを行っている。また今も腎友会の会員活動の一方で、一型糖尿病など難病の患者さんをサポートする会にも所属し、活動を行っている。

15歳の時に一型糖尿病に。
自身も合併症に悩む一方で、
難病・透析患者さんをサポート。

 私が一型糖尿病を発症したのは、15歳の時でした。「最近のどが渇くな」と感じることが続いて、そうしたらある夜寝たまま意識を失って翌朝も起きなかったんです。病院に運ばれましたが、それから4日間も意識が戻らなかったそうです。一型糖尿病は、自己免疫疾患が関係しているという説もありますが、原因は現在もまだはっきりとわかっていません。糖尿病は、神経・目(視力)・腎臓に合併症が進行するので、各専門医の診察も受けていました。眼底出血が見つかった時は、本当に驚いたのを覚えています。
 そして、忘れもしない阪神・淡路大震災が起きた1995年。当時建設の仕事をしていた私は、被災地の仮設住宅を建設する現場監督として、毎日早朝に自宅を出て現場まで通い続けました。そして仕事が少し落ち着き始めた頃、まわりの人に「なんだか顔色が悪いよ」と言われ、病院に行ってみたのです。すると、それまで3〜4ぐらいだったクレアチニンの数値が、8にまで上がっていて。食事もずっと塩分やたんぱく質を摂りすぎないように気を付けていたので、わずか数ヶ月の間にこんなに状態が悪化するとは思いませんでした。医師から、先ほどの3つの合併症は「糖尿病を発症した時点から、同時に進行する」と聞いてはいましたが、本当にあまりに突然のことでした。
 私は仕事の関係もあり、腹膜透析を選びました。カテーテルの手術をし、最初の透析液の交換をした時、「ありがたい」と思いました。というのも、その頃慢性的に鼻血が出ていて、痛みはないものの、ずっとモヤモヤと憂鬱感のようなものがあったのです。それが1回の透析ですーっとなくなって、まるで世界が変わったようでした。でも1年後には、血液透析に移行することになったのです。当時私は黄色ブドウ球菌(MRSA)に感染して、入院していました。腹膜透析のカテーテルの位置を、おなかの左側から右側へ変える手術をする予定だったのですが、腹膜炎を起こしてしまって。手術の前日に医師にお願いして、急きょ血液透析のためのシャント手術に変えてもらいました。あの時は本当につらかったですが、腹膜炎になったのが手術の前で、医師も対応してくださったおかげで、今まで問題なく透析を続けることができています。
 入院などでしばらく仕事を離れていたのですが、兵庫県腎友会の事務局でスタッフを探しているという話を聞き、そこで働くことになりました。会員の勧誘や名簿管理など仕事の内容は幅広く、16年間そこで活動しました。
 今は会員として所属し、仕事は透析患者さんの旅行をサポートする旅行会社のスタッフとして働いています。主に、お客様の旅先の透析施設を手配したり、自社サイトの制作を行っています。ご案内する施設は全国にわたり、出張などでも利用していただくことが多いですね。私自身、透析をしながら国内外の旅行を楽しんだ経験があり、「透析をしているから」と不安やわずらわしさのために旅を敬遠しがちな方をサポートして、楽しんでいただくお手伝いができたらうれしいです。
小野 孝俊さん

現在は起立性低血圧が一番の悩みという宮崎さん。「透析で横になった状態から、起き上がって座った時、立った時で、それぞれぐっと血圧が下がるので危ないんです。

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