透析を受けながら活躍する人々

掲載:2017年 vol.27

小林 正和さん
音楽や演劇などのエンターテイメントが趣味だと話す小林さん。好きなアーティストについて語る時の、いきいきとした表情が印象的。

音楽や演劇が、今の一番の楽しみ。
私の元気の源でもあります。

小林 正和さん

不動産業 経理事務

小林 正和さん
1973年、東京都立川市生まれ。専門学校の専門課程の時に体調をくずし、20歳頃から療養に専念。将来的に透析を導入する必要があることを医師から告げられ、24歳の時にシャント手術を行う。翌年、慢性腎不全により血液透析を導入。現在は、家業である不動産会社で、経理事務を担当している。音楽や演劇などを楽しむのが趣味で、好きなアーティストのコンサートや公演に出かける他、ファンの一人としてサポートもしている。

シャント手術を受けることになり、
両親にどのように話そうか、とても迷いました。

 子どもの頃から腎臓が弱かったのだと思います。小学校の検診で指摘されたのは、8歳の時でした。急性腎炎だとわかり、地元立川の病院に約1年間入院することになりました。子どもにとって1年というのは長いですよね。もちろん学校にも行けないので、友達にも会えませんし、授業の遅れも出てきます。心配してくださったのだと思います。当時の担任の先生が週に1回、病院まで来て勉強を見てくれたのは、今でもとても感謝しています。
 退院してからは、食べるものに気を付けるようになりました。特に塩分ですね。食事の量自体も、母が調整してくれていたのだと思います。
 運動は、体の具合からあまり積極的にできず、体育の授業を見学することもありました。中学校に進学した時も、実はバレーボール部に入りたかったのですが、激しい運動は止められていたので諦めました。他に興味のある部活もなかったので、自然と帰宅部になりましたが、やっぱりバレーボールをしたかったなという気持ちは今でもあります。
 その後、私は簿記の専門学校に入学しました。子どもの頃から計算をすることが好きで、そろばんも得意だったので、楽しく学べました。通っていた学校は高等課程が3年間あるのですが、そこを修了して次の専門課程に進んですぐに、急に体調をくずしました。血圧が急激に上がり、頭痛が絶えない日々が1年間続いたのです。学校に通えなくなり、その間に学業のブランクができたことや、後輩と一緒に学ぶことを考えると気持ちも落ち込み、20歳の時に退学して自宅で治療に専念することにしました。
 この時、病院の診断で、将来的に透析を導入する必要があることを告げられていました。そこで、腎臓病の治療や透析医療に力を入れている病院に転院し、保存期の治療を受けることにしたのです。
 そして、24歳の時にシャントの手術を行いました。医師から手術の話を聞いた時、正直に言うと、両親にどのように話そうか悩んだんです。私自身は小さい頃から腎臓の調子が良くないことはずっと自覚していたし、通院のたびに医師からの話も聞いていたので、そこまで大きなショックはなかったのですが、透析について両親がどう思うか心配でした。結局、担当医師が私の父に話してくださり、また両親も予想というか、ある種の覚悟ができていたということも後で聞いてわかりました。無事手術も終わったすぐ後、突然大きな風邪をひいて高熱を出しました。これによって、本来はまだ先だった透析導入を、急きょ早めることになったのです。
 透析は、今でちょうど18年になりました。週に3回、毎回4時間15分と決まっています。透析中はCDを聞いていることが多いですね。好きなアーティストの曲を聴きながら、時々口パク(声を出さずに歌詞に合わせた口の動きをすること)で歌っています(笑)。仕事は実家の不動産会社で経理事務を担当しているのですが、家業なので透析をしながらの負担が少ないことに感謝しています。
 今の楽しみは、音楽や演劇です。好きなアーティストのコンサートや公演をチェックして出かけて行ったり、ファンの一人としてサポートもしています。また東腎協(東京腎臓病協議会)の活動にも参加していて、多忙な毎日ですが、これからもこうしてアクティブに日々を楽しんでいきたいと思います。
小林 正和さん

「透析を導入することになった時、不思議と移植については考えませんでした」と小林さん。「週に3日透析を行っていますが、仕事を続けられていることは、とてもありがたいですね」。

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