透析を受けながら活躍する人々

掲載:2017年 vol.29

小平 敬明さん
高校生の頃からギターを弾き、バンド活動をしていたという小平さん。お気に入りの美しいマンドリンを手に。透き通るような音色も素敵。

全腎協の活動は、私にとって「恩返し」。患者会の魅力を多くの方に伝えたいです。

小平 敬明(こだいら よしあき)さん

全国腎臓病協議会 理事・北海道ブロック担当

小平 敬明さん
1958年、北海道旭川市生まれ。大学卒業後、地元の家具メーカーに就職し、横浜・東京へも転勤。一方、学生時代に腎盂腎炎を患って以降、健康診断で尿たんぱくを指摘される。保存期の終わりに風邪をひいたのをきっかけに、34歳で血液透析を導入。しばらく東京で仕事を続けた後退職し、今から17年ほど前に故郷の旭川に戻る。現在は障害者支援を行う特定非営利活動法人に勤める傍ら、全国腎臓病協議会に所属し、6年前に理事に就任。北海道を中心に、患者会の魅力を広く伝えるなどの活動を行っている。

イメージで拒んでいた透析。
導入したら、心身ともに軽くなって驚きました。

 「体の調子が悪いな」と感じるようになったのは、学生の頃でした。風邪で扁桃腺が腫れたことがあって、その後血尿が出ました。病院で腎盂腎炎と診断され、それを2回繰り返したんです。あの時は本当につらかったですね。治療で血尿は止まりましたが、尿たんぱくはずっとおりていて、医師に通院をすすめられました。でもあまり深刻に考えていなくて、そのままにしていたんです。
 大学卒業後、地元・旭川の家具メーカーに就職し、25歳の時に横浜へ転勤になりました。それから間もなく東京へ転勤し、10年ほど勤めました。会社でも定期的に健康診断があって、その時も尿たんぱくは指摘されていました。それでもやっぱり、重く受け止めていなかったんですね。ところがある日急にひどい頭痛がして。大きな病院で診てもらったところ、腎臓の具合が悪いと言われましたが、痛みが治まったから大丈夫かなと思っていたら、また調子が悪くなってきました。いよいよ東京女子医大へ行ったら、医師が「今すぐ透析を導入してもおかしくありませんよ」と。今考えると、保存期の最後だったんだと思います。貧血や嘔吐など、それらしい症状は出ていましたから。でも、当時私は透析について知識がまったくなくて、身近に透析患者さんもいなくて、イメージだけで「透析は絶対に導入したくない」と思っていました。そんな時にまた風邪をひいて、それまでなら「何とかなるかな」と思う程度でしたが、この時ばかりは「もう無理だ」と思いました。それからすぐ、血液透析を導入しました。34歳の時です。
 透析をしてすぐに、体が楽になっていきました。1週間もすると「ああ、具合が悪いのを我慢したり先延ばしにせず、早く透析を始めればよかった」と思いました。貧血もなくなり、それまでより心身ともに軽くなったのは、うれしかったですね。
 退院後、週に3回透析に通うことになり、職場では仕事内容を変えてもらいましたが、その頃から故郷の旭川を思う気持ちが強くなりました。そして17年ほど前に決意して、仕事を辞め、旭川に帰ってきたのです。新しい仕事はまだ見つけていませんでしたが、しばらくはゆっくりすることにしました。その後、障害者支援を行う団体とご縁があり、そこで働く傍ら、今は全国腎臓病協議会の理事として、北海道を中心に全国で活動しています。
 全腎協の活動は多岐にわたりますが、私は患者会の魅力をしっかり伝えることを大切にしたいと考えています。まだ今ほど支援が手厚くなかった時代、つらい体をおして、次世代の患者のために国や自治体、医療団体と交渉を続けてくださった先輩方には本当に頭が下がります。私たちの今の状況は、決して当たり前のことではなく、こうした先人をはじめ多くの方々の熱意と支援によることを考えると、「私たちは透析によって生かされているのだなあ」と痛感します。そのような歴史や、患者同士の交流・情報交換の場としての「患者会の良さ」を知ってもらえるように発信していきたいと思っています。私にとって、全腎協の活動は「恩返し」です。これからも精力的に続けていきたいですね。
小平敬明さん

週に3回、6時間の透析中には、軽い運動をするそう。ベッドの上にペダル運動の器具を置き、足を鍛えている。

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