透析を受けながら活躍する人々

掲載:2018年 vol.32

吉川由実花さん

可憐な笑顔が印象的な吉川さん。ものづくりや読書が趣味と話します。「ビーズ細工やリース作り、イラストを描いたり料理をするのも大好き。興味がわくと、何でもすぐに挑戦したくなるんです」。

神奈川県腎友会・青年部での活動を通して、「透析は大変なことばかりじゃないよ」と伝えたい。

吉川由実花さん

神奈川県腎友会 事務局員

吉川由実花さん
1990年、神奈川県横浜市生まれ。生後2ヶ月で人工膀胱手術、その後腎機能低下により1歳の時に腹膜透析を導入。9歳でシャント手術を行う。中学入学前にお母様から腎臓移植を受ける。9ヶ月後、水腎症により血液透析を導入。同時に腎臓移植の登録を行い、15歳で再度腎臓移植を行う。17歳で2回目の血液透析を導入。23歳の頃に神奈川県腎友会に勤務する。現在では、会員として同会の青年部「ますかっと」の役員(副部長)として活動する。他の地域の腎友会との交流をはじめ、主に日曜日を中心に各種イベントを開催している。

1歳で腹膜透析を導入。
母の話を聞き、情報を集めて、透析について勉強。

 透析を始めたのは1歳の時でした。私は生まれた時に、膀胱が機能していないことがわかりました。さらに調べてみると腎機能も低い状態だったそうです。本来はすぐにでも透析を導入するところ、生まれて間もなかったことから、生後2ヶ月で人工膀胱の手術をし、様子を見ながら1歳で腹膜透析を導入しました。
 その後は、小学6年生まで、1日に3〜4回のバッグ交換を行っていました。学校にいる時間は長いので、授業が終わるとすぐに家に帰って30分だけ透析をし、その後友達と遊び、夜は時間をかけてゆっくりと透析をする毎日でした。この頃、食事制限は厳しくありませんでした。でも、本来成長のために栄養を摂らなければならないところ、筋肉の発達に重要なたんぱく質や、骨の形成に大切なカルシウムが豊富な食材はリンも多いことや、当時はリン吸着薬などもなかったことから、結果的に食事には注意や工夫が必要だったと思います。母がいつも気を付けて見ていてくれました。
 その母から、中学に入学する前に腎臓の移植を受けました。腎臓を移植すると水をたくさん摂る必要があるのですが、私は人工膀胱のため、膀胱ではなく腎臓に水がたまりました。そのため水腎症になり、またクレアチニンの数値も高いままだったので、13歳の時に血液透析を導入することになったのです。私は物心がつく前から透析を始めていたことや、9歳の時に将来を考えてシャントの手術をしていたこともあり、血液透析の導入自体には大きなショックはありませんでした。でも、母が悩み移植を決断してくれた腎臓が機能しなくなったことに、申し訳ない気持ちになり自分を責めました。
 血液透析を始めてから、急に食事制限が厳しくなりました。特に外食はつらかったですね。それまである程度自由に食べられていたものが、食材や量に注意しなくてはいけなくなりました。一方でカロリー摂取は必要なので、外出先では天ぷらなど、決まったメニューばかり選んでいたのを覚えています。
 15歳の頃、ドナーからの提供を受けて再び腎臓移植をしましたが、急にクレアチニンの数値が上がったことから、17歳で2回目の血液透析を導入しました。今でちょうど10年になります。この時に出会った先生からは、「食事は無茶をしなければ、神経質にならなくても良いんだよ。しっかり栄養を摂って、きちんと透析をしよう」と教えていただきました。自分でも透析について勉強するようになり、生まれてからの話を母から聞いたりしながら、自分の体のことや「良い透析」についても考えるようになりましたね。
 20歳になり、お世話になっている先生に仕事について相談したところ、神奈川県に腎友会があると教えてくださいました。すぐに入会して、3年ほどお手伝いとして関わり、今はスタッフとして勤めています。青年部「ますかっと」の役員としての活動もしていて、日曜日を中心にイベントも開催しているんですよ。関東を中心に、さまざまな地域の腎友会のみなさんと交流し、お話を聞いたり情報交換ができるのは自分にとってとても貴重でうれしい機会です。これから透析を導入される方にもぜひ参加してもらって、「透析はそんなに大変なことばかりじゃないよ」と伝える場にしていけたらと思っています。
吉川さんは、青年部の活動を通してさまざまな患者さんと積極的に交流している。

吉川さんは、青年部の活動を通してさまざまな患者さんと積極的に交流している。「いろんな人と話すと、情報交換もできるし世界が広がって楽しいです」。

L.JP.MKT.CN.02.2018.3477

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