透析を受けながら活躍する人々

掲載:2018年 vol.33

木村 繁さん

近年、脊柱管狭窄と診断されたこともあり、朝夕自宅でリハビリを行っているという木村さん。
「ハードな運動はできないけれど、毎日4種類の体操をしています。筋肉の衰えも防げると思いますよ」。

患者会の意義や歴史、制度の重要性を広く伝え、今の透析医療を大切に守っていきたい。

木村 繁さん

全国腎臓病協議会 副会長
大阪腎臓病患者協議会 常務理事

1947年、大阪府大阪市(鶴橋)生まれ。電気通信の専門高等学校を卒業後、車のラジオやステレオ、カーナビなどの販売、取り付け、修理を行う会社に就職。専門の知識や技術を活かしながら数社を経て、55歳の時に退職後、独立。一方、27歳で腎炎と診断され、39歳の時に血液透析を導入。現在はオンラインHDFを行っている。10年前からは大阪腎臓病患者協議会の活動に参加し、8年前のNPO化と同時に理事に就任。4年前からは全国腎臓病協議会でも副会長として活躍されている。

信頼できる先生と出会えたことが、
何より幸運だったと感じています。

 透析を導入して、今年で32年になります。27歳の時、急におなかが痛み出し、張ってきたので病院へ行ったところ腎炎と診断されました。それから5ヶ月後、今度は黄疸が出てすぐに入院。肝臓が弱っていたためでした。2年間通院してしばらくは落ち着いていたので安心していたのですが、5年後には痛風を発症してしまいました。
 私は高校卒業後、無線の仕事をしていました。車のラジオやステレオ、カーナビなどの販売、取り付け、修理などが主な業務です。当時は働き盛りで食欲もあり、仕事終わりに同僚や後輩とよく外食に出かけていました。週に2〜3回焼肉を食べに行くこともあったんですよ。でもそのせいでコレステロール値が高くなり、腎臓にも負担をかけてしまったようです。
 私がとても幸運だったのは、当時勤めていた会社の近くに、今もお世話になっている病院ができたことでした。偶然この病院のスタッフの方と知り合い、私の体調が悪そうな様子を見て、診察を勧めてくださったのです。腎臓の機能が弱っているという診断で、その後も時々診ていただきました。この時、将来的に透析の導入を考える必要があるというお話があり、「透析とは何か」についても初めて知りました。不思議なことに、不安はほとんど感じませんでしたね。まだ実感が湧かなかった、というのが近い気持ちかもしれません。
 急な体調の変化はありませんでしたが、少しずつ食事の味がわからなくなり、足が重たくて歩くのもつらくなっていきました。週に2kgずつ体重が減り、全身がだるい状態でしたが、忙しくてなかなか仕事を休むこともできなかったので、がんばって通勤していました。そして先生(医師)の「透析を始めましょうか」という言葉で、39歳の時に血液透析を導入することにしたのです。
 透析を始めてみると、それまでのだるさが嘘のように体が軽くなり、むくみも引いていきました。味覚も元に戻って食事がおいしくなり、どんどん食べたいという気持ちが強くなりました。そして透析導入後に糖尿病になってしまったのです。やはりこれは良くないので、今は十分注意しています。と言っても、食事は家族と違う料理では作る手間も増えますし、同じものを食べたいので、1人前の配膳からちょうど半分を食べるようにしています。こうすると細かい成分計算をしなくても食べすぎる心配がないので安心です。検査結果の数値も安定していて、優等生なんですよ。
 実は透析導入後すぐに腎臓移植の登録もしました。でも、ドナーが見つかる時というのは突然でしょう。2回ご縁があったのですが仕事が重なってしまい、残念ながらお断りしました。忙しそうな様子を見て、先生も気遣ってくださいました。これは後から聞いた話ですが、透析導入後に私が勤めていた会社に来られて、上司に「できるだけ体に負担がかからない仕事にしてあげてほしい」と話してくださったそうです。先生には、本当に感謝してもしきれません。
 10年前からは大腎協の活動に参加し、4年前からは全腎協でも副会長を務めています。今、透析患者さんを取り巻く環境は、以前とは大きく変わってきています。現在の制度が当たり前ではないことを患者会の歴史とともに広く伝え、今の透析医療を大切に守る活動をしていきたいと思っています。
木村 繁さん

車が大好きという木村さんは、20歳の頃からいろんな車に乗り、現在は16台目。同じく車やバイクが好きなお孫さんの話をされる時には、思わずやさしい笑みがこぼれる。

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