透析を受けながら活躍する人々

掲載:2018年 vol.33

土田 祐子さん
「吹奏楽とピアノ、ミュージカル鑑賞が好き」と話す土田さん。吹奏楽では打楽器を担当。
「以前は発表会にも出ていたのですが、今は少し休んでいます。長く続けてきた趣味なので、また練習を始めたいですね」。

道腎協の活動で、いろんな人に会うのが私の楽しみ。
知らない世界に触れて、学びを得たり、刺激を受けています。

土田 祐子さん

北海道腎臓病患者連絡協議会 会計

1975年、北海道札幌市生まれ。25歳の時、出産の2週間前に体調が急変し、妊娠高血圧症候群(以前の名称:妊娠中毒症)・HELLP症候群と診断される。肝臓と腸の機能は回復した一方、腎臓のはたらきが回復せず、4ヶ月後に血液透析を導入。退院後1年ほど体調不良に悩んでいたが、長時間・頻回(週4回/5時間)の透析を行う病院に出合い、外出や仕事もできるようになる。現在は週に3日間、学習塾で講師を務めるかたわら、北海道腎臓病患者連絡協議会の会計担当として活躍し、会議などがあれば全国へ出張もしている。

出産の直前に体調が急変。
ずっとそばで支えてくれた家族に心から感謝しています。

 私は現在、週に3日間、学習塾で講師を務めています。小学生から高校生までが通う個別指導の塾です。やんちゃ盛りの年齢だと大変な時もありますが、みんなそれぞれにとてもかわいいですね。
 もともと子どもが大好きで、教師になることが夢でした。24歳の時に現在の夫と結婚。すぐに子どもを授かり、臨月までは母子ともに健康で、生まれてくるのをとても楽しみにしていました。
 ところが、出産の2週間前に一晩で体調が急変したのです。妊娠高血圧症候群(以前の名称:妊娠中毒症)でした。そしてHELLP症候群という、溶血や肝臓の機能が低下する症状が出て、すぐに処置していただいたのですが、悲しいことに子どもは亡くなってしまいました。私自身も腎臓や肝臓、腸へ血が行き届かなくなってほとんど機能しない状態だったのでICUに入り治療することになりました。
 寝返りをうつのも大変なほど体が弱り、また自分の状況やまわりの環境があまりに急に変わってしまったことで、1週間くらい何も考えられませんでした。その後心身ともに落ち着いてくると、少しずつ子どものことが思い出され、「もっと何かできたのではないか」と後悔することが増えました。つらい日々でしたが、夫や私たち夫婦の両親がいつも寄り添ってくれました。みんなの支えがあったから今の私があると、深く感謝しています。
 しばらくして肝臓や腸の機能は少しずつ回復してきましたが、腎臓だけは良くなる兆しが見られませんでした。鎖骨下静脈からカテーテルを入れて臨時透析をしていましたが、急性の腎臓病と判断される目安の1ヶ月を過ぎ、3ヶ月が経っても状態は変わらず、4ヶ月後にシャントを作りました。今後透析を続けるというお話を医師から聞いた時、一番先に感じたのは「これで家に帰れる」という安堵に近い思いでした。どこかに不安もあったと思いますが、それよりも1歩前へ進めたような気持ちが大きかったのを覚えています。
 退院して1年は調子が良くない日が続きましたが、私自身もいろいろと勉強する中で、長時間・頻回の透析をしてくださる今の病院に出合いました。現在、週に4日・5時間の血液透析をしていますが、そのおかげでとても元気になりました。以前はすぐに疲れて自宅にいることが多かったのですが、買い物や映画に出かけることが増え、今では仕事をしたり時には出張にも行きます。最初は不安そうだった家族も、私の様子を見て喜んでくれています。
 そして、仕事以外の日は、道腎協の会計のお仕事をするようにもなりました。さらに青年部でも、道内はもちろん全国の会議に出席し、いろんな人に会うのが私の楽しみにもなっています。透析をしている人、そうでない人、また住む場所や年齢、職業などがさまざまな人に会うと、勉強になることや刺激を受けることも多いですね。他にも、看護大学の「透析ケア」という講義で患者としての体験談をお話しする活動をしており、今年で4年目になります。また、今年の秋には地元である岩見沢で、CKD(慢性腎臓病)に関する講演会を計画中です。忙しくもありますが、毎日が充実しています。これからも仕事や趣味、いろんな人との出会いを楽しんでいけたらうれしいです。
土田祐子

日本の歴史にも興味がある土田さん。「歴史上の出来事や人物にゆかりのある場所へ出かけるのが好きです。以前、東京の日本橋へ行った時には街道の歴史や、麒麟像に込められた思いを感じて感動しました」。

PP-FOS-JP-0015-05-07

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