透析を受けながら活躍する人々
掲載:2019年 vol.37

一日の終わりには感謝と希望の言葉を。
互いに支え合い、楽しい日々を大切に過ごしたいです。
櫻井 恵一 さん
大学職員
めぐみ さん
大学職員
夫婦で支え合いながら、大切な時間を過ごしていきたい。
― 透析を導入されたきっかけを教えてください。
- 恵一
- 私は高校まで地元の鳥取県で過ごし、就職のために一度大阪に行きました。21歳の時に鳥取へ戻り、就職するためにハローワークに行くと、健康診断が必要だと言われて。その結果、腎臓の機能が低下していることを指摘されました。保存期はほとんどありませんでした。というのも、検査の翌年すぐに尿毒症とひどい貧血を起こし、透析を始めることになったのです。透析のことも詳しくわからず不安で体もつらく、とにかく「先生助けて!」と言いましたね。その後3ヵ月入院し、シャントをつくりました。医師は腹膜透析についても説明してくれましたが、私は体を動かすのが好きなので、血液透析を選びました。
- めぐみ
- 私は生後3ヵ月健診の時に、クレアチニンが高いと指摘されました。3歳で42度の熱が1週間続き、コーヒー色の尿が出て、幼稚園にも行けませんでした。すぐに入院し、小学校も病院の院内学校に通学。小学2年生の2学期に、ようやく普通の学校に通えるようになりました。透析を導入したのは20歳の時です。たまたま診察日が20歳の誕生日で、「先生、20歳になったら自分で決められるんだよね? だったら透析をしたい」と、自分から透析を切り出しました。それまで体育の授業はほぼ見学で、友達ともほとんど遊べませんでした。もっと自由になりたかったんですね。透析をすればそれが叶うと思いました。先生は「自分から透析を希望する患者さんは見たことがない」と驚いていましたね。
― お二人が出会われたきっかけは?
- 恵一
- それぞれ鳥取県と兵庫県の腎友会の青年部に所属していて、その交流会で会ったのがきっかけです。
- めぐみ
- 他の会員たちとも一緒に何度か食事に行って。どうやらその頃から、まわりの人たちは私たちをくっつけようとしていたみたいだけど(笑)。結婚には最初、躊躇しました。夫婦ともに透析をしているという人たちを知らなかったので、どんな生活になるのか想像できなかったんです。
- 恵一
- 私は鳥取でそのようなご夫婦を何組も知っているので、特に不安はありませんでしたね。
― 結婚後の生活や治療は?
- 恵一
- 結婚後はそれぞれの地元で別に暮らしていましたが、1年後に私が兵庫へ出てきました。妻は幼い頃から長くお世話になっている病院があって、長時間・頻回のとても良い透析治療をしてもらっていました。その状態を変えたくないと思ったのです。
- めぐみ
- 二人とも仕事をしながら透析を続けていましたが、同時に献腎移植の登録もしていました。ここ数年、何度か声がかかったのですが、肝腎・膵腎の同時移植のドナーだったため見送りになりました。
- 恵一
- 妻はそれを「良かった」と言うんです。2つの臓器を移植できる確率はとても低いので、そうした移植を必要としている患者さんが優先されるのは当たり前だと。
- めぐみ
- 私は腎臓だけなので。でも、2年前に私も献腎移植を受けることができました。今は感染症に十分注意しながらの生活ですが、おかげさまで体調は安定しています。ドナーの方、そのご家族には感謝してもしきれません。日々の楽しさ、生きる喜びを与えていただきました。
― 共通の趣味があるそうですね。
- めぐみ
- 二人とも阪神タイガースの大ファンで。甲子園球場も自宅から近いのでよく観戦に行きます。
- 恵一
- 月に3回ほど行けると幸せですね(笑)。この時はお酒も楽しみます。
- めぐみ
- それから私は、ビーズ織りやラッピング、ソープカービング(石けんの彫刻)、ハンドケアセラピストなどをやっていて、講師の資格を持っているものもあります。また「笑い文字」と言って、感謝や喜びを絵文字で表現するアートがあるのですが、今までの経験や学びを活かして自分でも教室を開けたらと思っています。
― 大変仲が良いですね。

- 恵一
- 実は今まで喧嘩をしたことがないんです。
- めぐみ
- 普通なら喧嘩になりそうなやり取りも、深刻にならなくて。
- 恵一
- 妻が明るくてさっぱりした性格なので、そのおかげもあります。
- めぐみ
- 一日の終わり、寝る時には必ずお互いに「ありがとう」「また明日ね」と言うようにしています。恵一さんには、毎日本当に感謝でいっぱいです。
- 恵一
- これからも二人で元気に過ごしながら、家族や仕事以外の世界に触れたり、いろんな人とも出会って、人生を楽しんでいきたいですね。